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家族での引っ越し
私が草加に引っ越してきたのは20歳のときです。
父、母、弟と一緒に家族で引っ越してきました。
きっかけは、父が営んでいた工場兼住宅のオーナーが変わり、立ち退きを求められたことでした。
それまで住んでいた家は、
1階が工場、2階が事務所、住居という建物でした。
仕事と生活が同じ場所にある生活です。
そのため、工場と住まいが別になるのは初めての経験でした。
弁天町での新しい生活
引っ越してきたのは、草加市弁天町。
産業道路から少し入った住宅でした。
家の目の前にはお墓があり、すぐ横には交通量の多い道路が通っていました。
環境は大きく変わりましたが、
工場と住まいが離れた生活に、どこかワクワクしていたのを覚えています。
上野への通学と通勤
当時、私は上野にある専門学校へ通っていました。
アルバイト先も上野でした。
毎日、東武伊勢崎線に乗って通っていました。
20歳、草加に引っ越してきた日の話
そのとき、ひとつ驚いたことがあります。
谷塚駅の西口を見たときです。
駅前なのに、大きな駐車場がありました。
「駅前なのに駐車場?」
東京では見たことのない風景でした。
町屋や堀切で育った私にとって、
駅前はお店が並ぶ場所というイメージだったからです。
人と人との距離
もうひとつ感じたことがあります。
人と人との距離です。
町屋でも堀切でも、
友達や近所の人、父の取引先の方、従業員など、
家族以外の大人と話す機会がたくさんありました。
しかし草加に来てから、その機会がぐっと減ったように感じました。
少し寂しさのようなものもあったと思います。
草加でできた最初の友人
そんな中で、草加で最初にできた友人はアルバイト先の仲間でした。
同じバイト先で働いていた3人です。
当時の私は、草加の駅名や町名もよくわからない状態でした。
そんな私に、
「このラーメン屋がうまいよ」
「ここはおすすめの場所だよ」
と、いろいろ教えてくれました。
自転車で覚えた草加の街
東京では徒歩圏内で生活できましたが、
草加では自転車が必須でした。
自転車に乗って街を走りながら、
少しずつ草加の街を知っていきました。
20歳の自分に伝えるとしたら
もし、あのときの20歳の自分に声をかけられるとしたら、
こう言うと思います。
「この街で、政治の仕事をすることになるぞ」
当時の私が聞いたら、きっと信じないと思います。
それでも、あの日草加に引っ越してきたことが、
今の私につながっているのだと思います。
あの頃の私は、まだ草加のことをほとんど知りませんでした。
駅名も町名もわからない、ただの20歳の若者です。
このあと私は、草加で働き始めることになります。
アルバイトを掛け持ちしながら、毎日必死に働いていました。
その日々の中で、少しずつこの街との関わりが生まれていきます。
次回は、「草加で働き始めた頃の話」を書いてみたいと思います。
草加市議会議員
斉藤雄二

