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最初に伝えた相手
市議会議員選挙に出ると決めて、まず最初に両親に報告しました。
私は、きっと喜んで応援してくれるものだと思っていました。
しかし、返ってきた言葉はまったく違いました。
父は、こう言いました。
「お前なんかにできる仕事ではない」
「迷惑をかける前にやめろ」
母は、何も言わず黙っていました。
正直、意外でした。
父は、声をかけてくれた政党の長年の支持者だったからです。
だからこそ、なおさら驚きました。
決断はすでに終わっていた
ただ、そのときの私は、特に気持ちが揺れることはありませんでした。
私はもともと、人に相談することが苦手です。
いつも自分で考えて、自分で決めてきました。
それは家族に対しても同じです。
今回も、「相談」ではなく、報告でした。
すでに自分の中では決断は終わっていました。
だから父に何を言われても、正直、
「そうなんだ」
としか思いませんでした。
冷たく聞こえるかもしれませんが、それだけ自分の中では腹が決まっていたのだと思います。
縁もゆかりもない街で
当時の私は、草加に住んではいましたが、正直に言えば、まだ「寝に帰るだけの街」でした。
友人もいません。
地域とのつながりもありません。
草加で暮らしてはいても、この街の中に自分の居場所があるとは言えない。
そんな状態からのスタートでした。
今思えば、よくそんな状況で選挙に出ようと思ったものです。
それでも、あのときは進むしかありませんでした。
初めて駅に立った日
まだ会社に在職していた頃、初めて駅に立った日のことを今でも覚えています。
足が震えました。
今まで会社員として通っていた駅に、今度は政治家として立つ。
同じ場所のはずなのに、まったく違う景色に見えました。
周りの人の視線が気になる。
自分がここに立っていていいのか、そんな気持ちにもなりました。
そのとき、ふと思いました。
会社勤めをしていたとき、駅に立っていた政治家の方々は、こんな目線で街を見ていたのか、と。
それまでただ通り過ぎるだけだった駅が、その日から少し違って見えるようになりました。
何もないところからの挑戦
知名度もない。
支援者もいない。
友人もいない。
本当に、何もないところからのスタートでした。
選挙に出ると決めたものの、今の自分に何ができるのか、何をすればいいのか、手探りの連続でした。
それでも、一歩を踏み出しました。
あのときは、不安がなかったわけではありません。
むしろ、不安だらけでした。
それでも前に進もうと思えたのは、自分で決めた道だったからだと思います。
次回予告
こうして私は、何もないところから、初めての選挙に向けて動き出しました。
そしてその中で、会社を辞めるときにも、今でも印象に残っている出来事がありました。
次回は、会社を辞めたときの話を書きたいと思います。
草加市議会議員
斉藤雄二
